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西川口 わいわい分かち合いブログ
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こんにちは! 日本基督教団西川口教会ホームページ管理人のsakukoです。聖書日課の分かち合いメールを何人かの方に配信しています。聖書日課は、日本キリスト教団出版局の「信徒の友」を用いています。分かち合いの交わりが拡がるといいなと思っています。500字を目安にしていますので、舌足らずな表現もあるかと思います。分かち合いですから、議論や知識のやりとりではなく、聖書から聴いて示されたことを語りたいです。それでは、どうぞよろしく!(西川口教会のホームページはhttp://church.jp/nishikawaguchi) この引用されている聖書は、特に断りがない限り、日本聖書協会発行の聖書『新共同訳』を用いています。聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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打ち砕かれた心の人に命を得させる (イザヤ書 57:14〜19)

2012/01/28 08:16
高く、あがめられて、永遠にいまし
その名を聖と唱えられる方がこう言われる。
わたしは、高く、聖なる所に住み
打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり
へりくだる霊の人に命を得させ
打ち砕かれた心の人に命を得させる。(イザヤ 57:15)


高く、聖なるところに住まわれる神は、同時に、打ち砕かれた人を顧みて、共にいてくださるというのです。神は命を得させようとお働きくださる、慈しみ深いお方です。その慈しみは高慢な心には届きません。打ち砕かれ、へりくだったところに注がれます。低いところに水が流れていくように。主なる神の前に罪を認め、主からの罪の赦しなしには立ちえない自分です、と告白します。今日も、主が共にいて、「わたしを仰いで生きよ」と立たせてくださいます。
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すべての民の祈りの家 (イザヤ書 56:1〜8)

2012/01/27 08:48
主はこう言われる。正義を守り、恵みの業を行え。
わたしの救いが実現し
わたしの恵みの業が現れるのは間近い。
いかに幸いなことか、このように行う人
それを固く守る人の子は。(イザヤ56:1-2) 
わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。(イザヤ56:7)  


聖書には、神の民として選ばれたイスラエルと、それ以外の人々(異邦人)との区別はしっかりあります。神は、それぞれにふさわしく恵みを与えようと、招いておられます。すべての人を神は受け入れていて、神のもとに帰ってくるのを待っておられます。なぜなら、神の家はすべての民の祈りの家と呼ばれるからです。だれもが招かれており、祈りに連なることが許されています。
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慰め主なる神 (イザヤ書 54:11〜17)

2012/01/26 09:07
苦しめられ、嵐にもてあそばれ
慰める者もない都よ
見よ、わたしはアンチモンを使って
あなたの石を積む。・・・
あなたの子らは皆、主について教えを受け
あなたの子らには平和が豊かにある。(イザヤ 54:11-13)  


苦しみただ中にあるとき、だれからも顧みらず慰める者もないと思われるとき、そういう時があることを聖書は知っています。このイザヤ書の預言も、数十年にわたる捕らわれの時代、異国の地で語られたものでした。絶望のときでした。そのような打ちひしがれた民に御言葉が臨みます。荒れ果てて、見捨てられた都が、主なる神によって尊く装われる。民に平和が与えられる。ただ神にのみ望みがあることを告げています。
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平和の契約が揺らぐことはない (イザヤ書 54:1〜10)

2012/01/25 08:30
山が移り、丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと
あなたを憐れむ主は言われる。(イザヤ 54:10)  


神の力強い祝福の約束が宣言されます。主の慈しみはどこかへ行ってしまうようなものではない。平和の契約は揺るがない。わたしたちを憐れみ、どこまでも愛し、見捨てず、祝福の中に立たせてくださる主が、そのように宣言されます。丘が揺らぐこともある。わたしたちの歩みの中で、揺さぶられ、足を取られるような、思いがけないことが起こります。聖書はそういうことは起こる、と語ります。だからこそ、揺るがないお方へとその約束へとわたしたちを招きます。
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彼が自らをなげうち (イザヤ書 53:7〜12)

2012/01/24 08:47
それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし
彼は戦利品としておびただしい人を受ける。
彼が自らをなげうち、死んで
罪人のひとりに数えられたからだ。
多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのは
この人であった。(イザヤ53:12)  


苦難のしもべの預言が続きます。この人は、捕らえられ、裁かれ、命を取られました。この人は不法を働かず、偽りを言うこともなかったのに、罪人として死にました。この人を打ち砕くことを主なる神がお決めになり、その神のご意志をこの人は引き受けました。この人はそのただなかで罪人のためにとりなし祈ってくれた。まことに、わたしたちの救い主イエス・キリストを指し示す預言です。
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苦難のしもべ (イザヤ書 52:13〜53:6)

2012/01/23 09:08
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。(イザヤ53:5)  


まことに救いがもたらされるために、苦難をその身に引き受けていくひとりの人が立てられる。その人は軽蔑され、見捨てられ、痛みを追い、病を知っている。その人は、わたしたちの病、わたしたちの痛み、わたしたちの背き、わたしたちの咎をその身に引き受けてくださる。その人が苦難を引き受けてくれたことで、わたしたちには平和と癒しが与えられる。その神のご意志がここに示されました。
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59567 更新しました

2012/01/22 21:54
今日は、同じ埼玉地区一区の越谷教会との講壇交換礼拝でした。
それで、週報短文に、越谷教会と石橋先生の紹介を載せました。
といっても、越谷教会のホームページ丸写しですが。

お互いの教会のため牧師のために祈り合える講壇交換礼拝は
よい交わりの機会と思います。

金曜日から雪、雨と、お湿りもありました。

西川口教会のホームページを更新しました。
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わたしはあなたを覆う (イザヤ書 51:12〜23)

2012/01/21 08:55
わたし、わたしこそ神、あなたたちを慰めるもの。
なぜ、あなたは恐れるのか
死ぬべき人、草にも等しい人の子を。(イザヤ51:12)
わたしはあなたの口にわたしの言葉を入れ
わたしの手の陰であなたを覆う。
わたしは天を延べ、地の基を据え
シオンよ、あなたはわたしの民、と言う。(イザヤ51:16)


見えない神よりも、見える人間を恐れていることがあります。そしてさらに人からの言葉とか、人がわたしをどう見るかとか、無言の圧力や、この世の力を恐れ、防衛に走ってしまうことがあります。「なぜあなたは恐れるか」との御言葉に、主イエスの御教えを思い起こします。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10:28)  こうして、御言葉によって、わたし自身を照らされて、自分が何を恐れているか、問われ、知らされます。主は「あなたを覆う」と語ってくださいました。そこに神の大きな深い憐れみを見ます。
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わたしに聞け (イザヤ書 51:1〜11)

2012/01/20 08:42
わたしに聞け、正しさを求める人
主を尋ね求める人よ。
あなたたちが切り出されてきた元の岩
掘り出された岩穴に目を注げ。
あなたたちの父アブラハム
あなたたちを産んだ母サラに目を注げ。
わたしはひとりであった彼を呼び
彼を祝福して子孫を増やした。(イザヤ 51:1-2)
  

「アブラハム」と聞くと、わたし自身の献身の御言葉を思い出します。「神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」(ルカ3:8) 神は、ひとりであったアブラハムを祝福の源とされました。石ころのようなわたしも、アブラハムに約束された祝福の子孫の一員にされ、神の祝福を受け、主に求め、喜んで生きられるようになりました。
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わたしの耳を開かれた (イザヤ書 50:1〜11)

2012/01/19 09:06
主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え
疲れた人を励ますように
言葉を呼び覚ましてくださる。
朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし
弟子として聞き従うようにしてくださる。
主なる神はわたしの耳を開かれた。(イザヤ50:4-5) 


主なる神はわたしの耳を開かれた、とは、まことに信仰者の認めることです。心に、体に、主の恵みを受け取ることができたとき、それは自分の力ではなく、主がなさったこと、と告白することになります。主なる神が、わたしのために働いてくださった。わたしのために奉仕してくださった。今朝も、こうしてこの御言葉どおり、疲れた人を励ますように語りかけて、弟子して生きる願いを与え、言葉を授けてくださいました。
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わたしが争い、救う (イザヤ書 49:22〜26)

2012/01/18 08:33
主はこう言われる。
捕らわれ人が勇士から取り返され
とりこが暴君から救い出される。
わたしが、あなたと争う者と争い
わたしが、あなたの子らを救う。・・・
すべて肉なる者は知るようになる
わたしは主、あなたを救い、あなたを贖う
ヤコブの力ある者であることを。(イザヤ49:25-26)  


わたしが争い、わたしが救う、あなたを救い、贖う、力強い宣言です。聖書の神は、どこまでも追いかけて救い出してくださる神であり、一所懸命にお働きくださる神です。まことにそのような神であられることが、主イエス・キリストによって示されました。キリストが、わたしたちをとりこにしている罪と死から、赦しと復活とをもって、救い出してくださったからです。
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わたしはあなたを忘れない (イザヤ書 49:14〜21)

2012/01/17 08:35
シオンは言う。
主はわたしを見捨てられた
わたしの主はわたしを忘れられた、と。
女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。
たとえ、女たちが忘れようとも
わたしがあなたを忘れることは決してない。(イザヤ 49:14-15)  


自分の産んだ子を忘れる母親がどこにいるでしょうか。そんな女性はいません。たとえいたとしても、わたしがあなたを忘れることは決してないのだ、と主なる神は力強く宣言してくださっています。子供のほうが見捨てられた、忘れられた、と思い込んでいたとしても。主なる神はご自分を母親になぞらえて、憐れまないはずがあろうかと熱情をもって語ってくださっています。
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わたしは恵みの時にあなたにこたえ (イザヤ書 49:7〜13)

2012/01/16 10:16
主はこう言われる。
わたしは恵みの時にあなたに答え
救いの日にあなたを助けた。
わたしはあなたを形づくり、あなたを立てて
民の契約とし、国を再興して
荒廃した嗣業の地を継がせる。(イザヤ49:8)  


主はご自分の民を真実をもって助けてくださるお方です。主なる神の民は、神に従いきれなかった罪、神に背いた罪のために、他国に囚われの民となってしまいました。主は他国にあるご自分の民から遠いお方ではありません。再び、形作り、立て、国を興し、地を継がせてくださると、望みを与えてくださいました。その国とは、まことの神を王としてお迎えする人々の国です。主なる神を救いの神としてあがめる国です。
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59468 更新しました

2012/01/15 22:21
西川口教会のホームページの
次週の礼拝のお知らせ、週報短文を更新しました。

次週は、埼玉地区講壇交換礼拝です。
今回は越谷教会が相手先です。
石橋秀雄先生が来てくださいます。
楽しみです。(私は越谷に行くので説教が聞けないのですが)

川口はずっと雨が降らず、よく晴れて寒い日が続きます。
風邪などひかないように、用心が肝心です。
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わたしの神こそ、わたしの力 (イザヤ書 49:1〜6)

2012/01/14 10:38
わたしは思った
わたしはいたずらに骨折り
うつろに、空しく、力を使い果たした、と。
しかし、わたしを裁いてくださるのは主であり
働きに報いてくださるのもわたしの神である。
主の御目にわたしは重んじられている。
わたしの神こそ、わたしの力。(イザヤ49:4-5)


神のために、と働くときでも、「いたずらに骨折り、うつろに、むなしく、力を使い果たした」と、気力を失うことがあります。無意識のうちに、頑張っていたり、自分だけがしていると思い込んでいたりすることもあるし、疲れすぎていて考えがマイナスのほうにばかり行く時もあります。だからこそ、静まって、自分に神の言葉を響かせ、自分が何者であるかを新たに受け取る祈りが必要なのだと、今日の御言葉からも示されます。神と神の言葉なしに、まことに自分を知ることも見ることもできません。主に呼ばれたわたし。主の目に重んじられているわたし。神の言葉がそう宣言している。その御言葉を信じ受け取り、そして、生きる力をいただきます。
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岩は裂け、水がほとばしる (イザヤ書 48:12〜22)

2012/01/13 08:43
喜びの声をもって告げ知らせ
地の果てまで響かせ、届かせよ。
主は僕ヤコブを贖われた、と言え。
主が彼らを導いて乾いた地を行かせるときも
彼らは渇くことがない。
主は彼らのために岩から水を流れ出させる。
岩は裂け、水がほとばしる。(イザヤ 48:20-21)  


なんという力強いイメージでしょう。乾いた地のただ中で、岩から、水が、ほとばしる! 主なる神は、ご自分の民に潤いを与えてくださる。水でのどを潤してくださる。神に贖われた民は、渇くことがない。神に渇きを癒されるのです。涙も出なくなるようなところを通されることもあります。わたしたちは水を生み出すことができません。ただ神だけが渇きを癒してくださる方です。
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わたしはお前を試みる (イザヤ書 48:1〜11)

2012/01/12 09:48
わたしは、わたしの名のために怒りを抑え
わたしの栄誉のために耐えて
お前を滅ぼさないようにした。
見よ、わたしは火をもってお前を練るが
銀としてではない。
わたしは苦しみの炉でお前を試みる。(イザヤ 48:9-10)  


苦難は神からの試みであると語られています。主なる神が怒りを抑え、耐え、民を滅ぼさず、かえって、練り、きよめること、その中にある神の憐れみが、語られています。この憐れみがなかなかわかりませんでした。神の怒りを人間の怒りと同じように思い込んでいたからでした。以前より神の憐れみがわかってきたとき、「主よ、よくぞ、このわたしを耐えてくださいました!」と、心から思ったことがありました。
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助言が多すぎて (イザヤ書 47:10〜15)

2012/01/11 08:25
助言が多すぎて、お前は弱ってしまった。
天にしるしを見る者、星によって占う者
新月によってお前の運命を告げる者などを
立ち向かわせ、お前を救わせてみよ。(イザヤ 47:13)
  

昨日の続きでバビロンに対する裁きの言葉ですが、この13節に思わず苦笑してしまいました。というのは、助言が多すぎておろおろし、振り回され(自分が勝手に振りまわっていたのですが)、最後は自分の責任なのに、向き合えずにいたからです。でも幸いなことに、バビロンのように占いや運命を告げる言葉によらないで、今、神の言葉によって生かされています。今は、恵みと自由をいただいて、「今」「ここ」に集中して生きられるようになりました。
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何事も心に留めなかった (イザヤ書 47:1〜9)

2012/01/10 09:04
沈黙して座り、闇の中に入れ、娘カルデアよ。・・・
わたしは自分の民に対して怒り
わたしの嗣業の民を汚し、お前の手に渡した。
お前は彼らに憐れみをかけず
老人にも軛を負わせ、甚だしく重くした。
わたしは永遠に女王だ、とお前は言い
何事も心に留めず、終わりの事を思わなかった。(イザヤ 47:5-7)
 

イスラエルを滅ぼし、民を捕囚としたバビロニア(カルデア)国に対する預言です。バビロンの高ぶりと同じことが今の時代、この社会にもあります。弱い者を憐れまず、何事も心に留めず、終わりのことを思わないでやってきた。その不正を神は見過ごされません。ですから、まず沈黙して、神の御前に座り、語りかけを聴きます。
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わたしが担い、救い出す (イザヤ書 46:1〜13)

2012/01/09 08:16
わたしに聞け、ヤコブの家よ
イスラエルの家の残りの者よ、共に。
あなたたちは生まれた時から負われ
胎を出た時から担われてきた。
同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで
白髪になるまで、背負って行こう。
わたしはあなたたちを造った。
わたしが担い、背負い、救い出す。(イザヤ 46:3-4)
  

主なる神が力強く宣言してくださっています。造り主である神だからこそ、造られた世界に最後まで責任を持ってくださる。その中にわたしももちろん含まれており、驚きつつ御言葉を聞きます。わたしが神を知る前から、生まれたときから背負われていた、と。今に至るまでずっと担われていた、と。ただ、信じます。
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