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西川口 わいわい分かち合いブログ
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こんにちは! 日本基督教団西川口教会ホームページ管理人のsakukoです。聖書日課の分かち合いメールを何人かの方に配信しています。聖書日課は、日本キリスト教団出版局の「信徒の友」を用いています。分かち合いの交わりが拡がるといいなと思っています。300字を目安にしていますので、舌足らずな表現もあるかと思います。分かち合いですから、議論や知識のやりとりではなく、聖書から聴いて示されたことを語りたいです。それでは、どうぞよろしく!(ブログ開設日は2005年12月9日、西川口教会のホームページは、http://church.jp/nishikawaguchi です。) 
引用されている聖書は、特に断りがない限り、日本聖書協会発行の聖書『新共同訳』を用いています。聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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主の祭りは我々全員のものです (出エジプト記 10:1〜11)

2018/04/26 09:16
ファラオは二人に言った。「行って、あなたたちの神、主に仕えるがよい。誰と誰が行くのか。」 「若い者も年寄りも一緒に参ります。息子も娘も羊も牛も参ります。主の祭りは我々全員のものです」とモーセが答えると、 ファラオは二人に言った。「・・・ いや、行くならば、男たちだけで行って、主に仕えるがよい。・・。」(出エジプト10:8-11)

主なる神はいなごの災いを予告されました。エジプトの王・ファラオはモーセとアロンを呼び出し、問いただしました。このモーセの答えに、今も教会は立っています。主の祭り―今のわたしたちの主日礼拝―、まことに、それは我々全員のものです(今、家畜はいませんが)。大人だけ、子供だけということはありません。
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あなたを生かしておいた (出エジプト記 9:13〜35)

2018/04/25 08:27
今までにもわたしは手を伸ばし、あなたとあなたの民を疫病で打ち、地上から絶やすこともできたのだ。しかしわたしは、あなたにわたしの力を示してわたしの名を全地に語り告げさせるため、あなたを生かしておいた。・・・見よ、明日の今ごろ、エジプト始まって以来、今日までかつてなかったほどの甚だ激しい雹を降らせる。(出エジプト9:15-16、17) 

主日礼拝で「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と信仰を言い表しています。今朝のこの聖書の言葉に、全能の神を見ました。神がお決めになれば、今この時にも人は息絶える。けれどもファラオが頑ななままで生かされているのは、ますます神の力が示されるようになるためであるとは、神のお考えの深いこと!
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主は時を定め、事を行われる (出エジプト記 9:1〜12)

2018/04/24 09:06
見よ、主の手が甚だ恐ろしい疫病を野にいるあなたの家畜・・・に臨ませる。しかし主は、イスラエルの家畜とエジプトの家畜とを区別される。イスラエルの人々の家畜は一頭たりとも死ぬことはない。主はまた時を定め、明日、この地でこの事を行われる。(出エジプト9:3-5) 

主なる神が予告された通り、疫病の災いが臨みました。ファラオはイスラエルの家畜が死んでいなかったことまで確認しましたが、心は変わりませんでした。主は、時を定められ、神の民の味方になってくださいます。その方を敵にするとは、何とファラオは愚かなことでしょう。しかしこれは他人事ではありません。主に逆らうほどにその報いは大きくなり、他者をも災いに巻き込みます。
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わたしがこの地のただ中にいることを知る (出エジプト記 8:16〜28)

2018/04/23 09:28
見よ、わたしはあなたとあなたの家臣とあなたの民とあなたの家にあぶを送る。・・・しかし、その日、わたしはわたしの民の住むゴシェン地方を区別し、そこにあぶを入り込ませない。あなたはこうして、主なるわたしがこの地のただ中にいることを知るようになる。 (出エジプト8:17-18)

 「血の災い」、「蛙の災い」、「ぶよの災い」は、エジプト全土に及びました。今回の「あぶの災い」はエジプトだけに送り、神の民の住むところにあぶは入り込ませない、と主は言われ、その通りになりました。それでもエジプトの王ファラオは頑なでした。人の罪深さは昔も今も同じです。その中で、神は、御自分の民を区別され、神はこの地のただ中におられます。今この時も。
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80185 更新しました

2018/04/23 00:12
今日は、真夏日になりました。

といっても、朝から夕方まで教会堂にいたのと
また、礼拝堂に冷房をいれたので(4月なのに!)
それほど暑さは感じませんでしたね。

午後の教会総会も予定された議題は、
すべて承認されました。

一年間の報告と、この一年の計画すべて
神のゆるしのもとにさせていただくばかりのものです。
主の業に励むことができますように。

今朝の礼拝には、キリスト教主義学校のお友だちがみえました。
入学おめでとう、進級おめでとうのご挨拶をかわしました。

学校のおかげで、教会の礼拝に若い方が来てくださいます。
恵みです。感謝です。御言葉の種まきができますように。

西川口教会のホームページを更新しました。

管理人 sakuko
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わたしが主であることを知る (出エジプト記 7:14〜24)

2018/04/20 08:36
「主はこう言われた。『このことによって、あなたは、わたしが主であることを知る』と。見よ、わたしの手にある杖でナイル川の水を打つと、水は血に変わる。・・・」モーセとアロンは、主の命じられたとおりにした。・・・ところが、エジプトの魔術師も秘術を用いて同じことを行ったのでファラオの心はかたくなになり、二人の言うことを聞かなかった。主が仰せになったとおりである。(出エジプト7:17、20、22) 

ここで、エジプトの魔術師もモーセとアロンと同じことを行った、とあります。ですから、誰が、何のために、それをしたのかが、違うわけです。主なる神は「わたしが主であることを知る」とおっしゃいました。ここに主は導こうとされています。
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わたしの大いなる審判によって (出エジプト記 6:28〜7:13)

2018/04/19 09:17
わたしはファラオの心をかたくなにするので、わたしがエジプトの国でしるしや奇跡を繰り返したとしても、ファラオはあなたたちの言うことを聞かない。わたしはエジプトに手を下し、大いなる審判によって、わたしの部隊、わたしの民イスラエルの人々をエジプトの国から導き出す。(出エジプト7:3-4) 

主なる神は、モーセとアロンをエジプトの王ファラオのもとに再び遣わされます。主はこれから起こることを告げられました。ファラオは言うことを聞かないが、ついに神の御手により、エジプトに対する審判によって、民は導き出される、と。神は常に、一つひとつ、時に適い、段階を踏んで、御心を成しておられます。神に委ねて、今日を生きられますように。
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わたしは主である (出エジプト記 6:1〜13)

2018/04/18 11:57
わたしは・・・イスラエルの人々のうめき声を聞き、わたしの契約を思い起こした。それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し・・・救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。(出エジプト6:5-7) 

聖書の神は、民と共におられる主なる神です。民がエジプトにいる時、神はエジプトにいる神の民のそばにおられます。民がエジプトで苦しんでいる時、そのうめき声を聞いてくださる。主なる神は、神の民が、まことに神の民としてふさわしく生きられるよう、今も、お働きくださいます。
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わが主よ。なぜあなたは・・・ (出エジプト記 5:14〜23)

2018/04/17 09:42
「わが主よ。あなたはなぜ、この民に災いをくだされるのですか。わたしを遣わされたのは、一体なぜですか。わたしがあなたの御名によって語るため、ファラオのもとに行ってから、彼はますますこの民を苦しめています。それなのに、あなたは御自分の民を全く救い出そうとされません。」(出エジプト5:22-23)  

イスラエルの人々は、モーセが現れて主なる神の言葉を告げたときには、神の顧みを喜びましたが、ファラオが自分たちに、理不尽な仕方で苦役を増したので、モーセに抗議しました。本当につらいことです。神に従ったがゆえの苦しみがあります。モーセは神に訴えます。この祈りに神の近さを感じます。モーセは神に近く、神はモーセに親しいようです。
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わたしの民を去らせなさい (出エジプト記 5:1〜13)

2018/04/16 09:18
モーセとアロンはファラオのもとに出かけて行き、言った。「イスラエルの神、主がこう言われました。『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』と。」ファラオは、「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」と答えた。(出エジプト5:1-2) 

エジプトの王ファラオの立場から、ファラオの拒否は当然のことでした。ファラオのこの反応も、あらかじめ主はご存知でした。いよいよ始まりです。「イスラエルの人々を、主を礼拝する民にする」という神の目的があります。神の目的は挫折するはずがありません。
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80124 更新しました

2018/04/16 01:18
4月15日の主日礼拝に、予定通り、
西川口教会の初代牧師の横山義孝先生が
いらしてくださいました。

横山先生の、賛美の声は力強く大きく、
お年を召しても変わりありませんでした。
すばらしいことです。

礼拝の報告のときに、
「自分史」出版について感謝の
ご挨拶をしてくださいました。
このたび、西川口教会員に贈呈してくださいました。

横山先生のこれまで90年の生涯と
伝道70年の歩みの証の記録です。

神学生の時代から、神学校がお休みの時
川口に伝道に来てくださいました。
卒業されてすぐに、川口の開拓伝道に従事され、
今の西川口教会へとつながっています。

横山先生の存在が神の祝福の証だと思いました。
感謝です。

西川口教会のホームページを更新しました。
短文には、熊本・大分地震から2年について
関東教区からのメッセージを紹介しました。
礼拝で執り成しの祈りをささげました。

管理人 sakuko
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主なるわたしではないか (出エジプト記 4:1〜17)

2018/04/13 09:07
「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。・・・全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」・・・ 「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」(出エジプト4:10-12) 

この後もなおモーセはためらいました。そこに人の頑なさを見ます。神はモーセを放り出すことはなさいません。語る務めをモーセの兄アロンに託されました。民に語るべき神の言葉はモーセに臨みます。神はあくまでも弱いモーセを用いられるのです。
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「わたしはある」という方 (出エジプト記 3:13〜22)

2018/04/12 09:25
「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」 ・・・「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名・・・」(出エジプト3:14-15) 

モーセは神から「わたしは必ずあなたと共にいる」との約束を与えられました。モーセは神に「人々に、自分を遣わす神の名を問われたら、何と答えたらいいか」と尋ねました。神は答えてくださいました。神は、存在の源でいらっしゃる。アブラハム、イサク、ヤコブの神となってくださった主なる神です。その御名は永遠です。
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わたしは何者でしょう  (出エジプト記 3:1〜12)

2018/04/11 14:25
「・・・今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」(出エジプト3:9-11)  

神が、荒れ野で羊飼いとして生きていたモーセを召し出される出来事です。神は、苦しめられているイスラエルの人々を救おうと、モーセを選ばれました。「救いは本当にすばらしい。でもどうしてわたしがしなければならないの?」とモーセは反応しました。聖書は人間というものを良く知っている。聖書を通して、わたしという人間も照らし出されるようです。
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水の中から引き上げた (出エジプト記 2:1〜25)

2018/04/10 09:51
その子はこうして、王女の子となった。王女は彼をモーセと名付けて言った。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから。」(出エジプト2:10)  

エジプトの王は続いて「ヘブライ人の男の子はナイル川に放り込め」と命令を出していました。ところでエジプトの王女が水浴びに来たとき、河畔の茂みに置かれていたヘブライ人の男の赤ちゃんに気づきました。様子を見ていたその子の姉が機転をきかせ、「乳母がいます」と母親を王女のところに連れてきました。王女はそのとおりにしたので、赤ちゃんは自分の母のもとで育てられました。神は、王女を用いてモーセを水の中から引き上げられました。それは、死から命へと救い出されたということです。
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神を畏れていたので (出エジプト記 1:1〜22)

2018/04/09 09:24
「お前たちがヘブライ人の女の出産を助けるときには、子供の性別を確かめ、男の子ならば殺し、女の子ならば生かしておけ。」 助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子も生かしておいた。・・・神はこの助産婦たちに恵みを与えられた。(出エジプト記1:16-17、20) 

昔、飢饉のためエジプトに逃れたヤコブの家族が増えて数多くなりました、エジプトの王はこのイスラエルの人々(ヘブライ人)が増えないよう過酷な労働を課し、さらに、男子の殺害命令を出しました。そんな中にも神は共におられました。助産婦たちは男の子も生かしておきました。神を畏れていたからです。時の権力者の命令があったにもかかわらず、です。
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80071 更新しました

2018/04/08 23:07
2018年度、2回目の主日礼拝。

進学進級したお友だちが顔を見せてくれて
大人たちは大喜び。若さがまぶしく見えました。

さて、西川口教会の創立年月は、1950年4月です。
残念ながら記録がなく、記念日は不明です。
ともかく、伝道を開始して、68周年です。

ここに西川口教会があったおかげで、救われた人がたくさんいます。
わたしもその一人です。感謝です。
これからも、使命に生きる教会でありますように。

その西川口教会の基礎を築かれるのに、
大きなお働きをされたのは、初代牧師の横山義孝先生です。

横山先生は、この春「自分史」を出版されました。
そして来週の礼拝に、ご挨拶のためおいでになる予定です。

思いがけない、うれしいお知らせでした。楽しみです。
予定通りに、横山先生と共に礼拝でき、良き交わりが持てますように。

西川口教会のホームページを更新しました。
週報短文と次週の予告です。

管理人 sakuko
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わたしは来て、住まう (ゼカリヤ書 8:1〜8)

2018/04/06 09:13
主はこう言われる。
わたしは再びシオンに来て
エルサレムの真ん中に住まう。・・・
見よ、日が昇る国からも、日の沈む国からも
わたしはわが民を救い出し 
彼らを連れて来て、エルサレムに住まわせる。
こうして、彼らはわたしの民となり
わたしは真実と正義に基づいて
彼らの神となる。(ゼカリヤ8:3、7-8)


エルサレム神殿再建の時代、預言者ゼカリヤに示された回復の預言です。この言葉から、人が神殿を再建したら神が住まわれるのではなく、主の御意思がなければ臨在されることはない、と分かります。主が神の民を連れて来てくださらなければ、神を礼拝することはできない。今、こうして神の言葉が聞けるのも、主の真実と正義によってなのですね。
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霊を吹き込む (エゼキエル書 37:1〜14)

2018/04/05 09:19
「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。・・・そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。」(エゼキエル37:4-6) 

預言者エゼキエルは主によって、ある谷に連れて来られました。そこには多くの枯れた骨がありました。主なる神は、その枯れた骨に向かって預言しなさい、とお命じになりました。驚いたことに、骨と骨が集まり、体となり、生き返りました。枯れた骨とは、絶望しきっている神の民のことでした。主はそこに霊(神の命の力)を吹き込み、生き返らせてくださいます。
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主は生きておられます (列王記下 4:18〜37)

2018/04/04 13:58
山の上にいる神の人のもとに来て、その足にすがりついた。・・・神の人は言った。「そのままにしておきなさい。彼女はひどく苦しんでいる。主はそれをわたしに隠して知らされなかったのだ。」・・・その子供の母親が、「主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。わたしは決してあなたを離れません」と言ったので、エリシャは立ち上がり、彼女の後について行った。(列王記下4:27、30) 

子供を亡くした母親が預言者エリシャに苦しみながら寄りすがっています。彼は彼女の苦しみを受けとめました。そして、亡くなった子供と部屋に二人だけになって主に祈りました。主は子供の命を戻してくださいました。命は造り主である神の御手にあります。
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