キリストの名と神の霊によって洗われて (コリントの信徒への手紙一 6:1~11)

・・・泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています。(コリント一6:10-11)  

神の国にふさわしくない振る舞いをする人々がいます。あなたがたもかつてはそうであった、しかし今はもう、そのような者ではない、というのです。悪い行いから離れたからではなくて、ただ、キリストの名によって、聖霊によって罪の汚れを洗い清めていただいたから。神の目には、聖なる者、義とされた者、神の国を受け継ぐ者とされています。それを信じるばかりです。
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純粋で真実のパンで (コリントの信徒への手紙一 5:1~13)

だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。・・・わたしが書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者がいれば、つきあうな、そのような人とは一緒に食事もするな、ということだったのです。(コリント一5:8、11) 

教会の様々な問題に驚かされます。教会の兄弟姉妹の中に、書かれたような生き方をしていた人々が出てきました。現代の教会でも同様のことは起こり得ますが・・・。そういう人とは距離を置くこと。悪意と邪悪から離れて、真実の交わりにとどまり生きることです。
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83686 更新しました

昨日は疲れ果てて、
先ほど西川口教会のホームページを更新しました。

今週は金曜からお休みをいただき出かけます。
来週の礼拝は、平松先生に説教をお願いしています。
夕拝は役員の奨励です。

これから、21世紀のエステル会の
シンポジウムに行ってきます!

管理人sakuko
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わたしを裁くのは主 (コリントの信徒への手紙一 4:1~13)

自分には何もやましいところはないが、それでわたしが義とされているわけではありません。わたしを裁くのは主なのです。ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。(コリント一4:4-5) 

自分自身の信仰の良心や誠実さで行動し、他の人に何もやましいところはないと言えることが大切です。その上で、すべてをご存じの神に裁きをお任せし、自分で自分をも裁かないこと。わたしは身についていないと思いますが、それよりも、朝ごとに、そして絶えず神を仰いで、神を呼ぶことではないかと思います。
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キリストが土台である神の神殿 (コリントの信徒への手紙一 3:10~23)

イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。・・・あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。・・・神の神殿は聖なるもの・・・です。あなたがたはその神殿なのです。(コリント一3:11、16-17) 

コリントの教会には現在のような教会堂はありませんでした。パウロはここで、建物のイメージを使って、キリスト者たちの群れである信仰共同体・教会について述べています。教会の土台はイエス・キリスト、教会は神の霊が住まわれる神の聖なる神殿です。キリストがわたしの土台となり、わたしは神の聖なる神殿とされた、ということでもあります。
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成長させてくださる神 (コリントの信徒への手紙一 3:1~9)

アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。(コリント一3:5-7)  

人は目に映るものを見てしまいます。コリントの教会は、指導者を祭り上げて、「アポロ先生につく派」、「パウロ先生につく派」のように分裂してしまっていました。しかし大切なのは、成長させてくださる神のみです。指導者も神に立てられ、役割に応じて、その奉仕に当ります。共に、成長させてくださる神を見上げることです。
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神が霊によって示される (コリントの信徒への手紙一 2:6~16)

しかし、このことは、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。(コリント一2:9-10)  

神の霊がわたしたちに働いて、神の出来事を悟らせてくださいます。神が人となられ、罪人のために命をささげてくださったこと。そのような救い主イエス・キリストが備えられていたこと。神を知らず、だからこそ神から離れ、神に背いていたわたしを、神はずっと愛し、救ってくださったこと。まことに人には思い浮かびもしない神の出来事です。
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十字架につけられたキリストのみ (コリントの信徒への手紙一 1:26~2:5)

わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた・・・わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。(コリント一2:2、4-5) 

十字架につけられたキリストにのみ救いはあります。このキリストの出来事を伝えることに集中したパウロでした。聖霊の働きにより、神の力により、信仰は始まるからです。パウロの手紙は本当に力強い言葉だと思いますが、それも人間パウロからではなくて、パウロの賜物を豊かに用いる神の業によるものですね。
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83652 更新しました

昨日は、敬老祝福礼拝をささげました。
礼拝の中で、70歳以上の方々に主の祝福を祈りました。

礼拝後は、愛餐会の楽しいひと時を持ちました。

年配のキリスト者が希望を持って生きている姿は
この国で証しとなると思います。

夜は、埼玉ホームページ委員会がありました。

非常に強い台風が通り過ぎました。
回復がありますように。

西川口教会のホームページを更新しました。

管理人sakuko
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神の教会への手紙 (コリントの信徒への手紙一 1:1~9)

コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。(コリント一1:2) 

この聖書は、使徒パウロからコリントの町の教会へ宛てて書かれた手紙です。コリント教会は「神の」教会。西川口教会も神の教会。教会を構成している人たちは、キリスト・イエスによって「聖なる者とされた」人々。神に呼ばれて(召されて)聖なる者とされました。聖別されて、神のものとされました。だから聖なる者たちは主の名を呼び求めて生きていきます。
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パウロのローマでの宣教 (使徒言行録 28:17~31)

そこで、ユダヤ人たちは日を決めて、大勢でパウロの宿舎にやって来た。パウロは、朝から晩まで説明を続けた。神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようとしたのである。(使徒28:23) 

パウロが福音を宣教したころ、地中海世界のさまざまな都市にもユダヤ人は暮らしていました。ローマ在住のユダヤ人に、パウロはイエス・キリストの福音を宣べ伝えました。旧約聖書が預言していた救い主(キリスト)はイエスであると証しました。こうして、ローマでもパウロは主イエスを証する、という神の約束が実現しました。それは、神がローマにいる人々を愛されているから。救いの言葉を聞かせてくださいます。
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こうしてローマに着いた (使徒言行録 28:1~16)

わたしたちはそこで兄弟たちを見つけ、請われるままに七日間滞在した。こうして、わたしたちはローマに着いた。ローマからは、兄弟たちがわたしたちのことを聞き伝えて、アピイフォルムとトレス・タベルネまで迎えに来てくれた。パウロは彼らを見て、神に感謝し、勇気づけられた。(使徒28:14-15)  

漂流の船旅でしたが、乗っていた人々も守られて、マルタ島に上陸できました。冬が過ぎてから、一行はローマへ向かいました。神の約束の通り、パウロはローマに到着しました。ローマにはすでにキリスト者の群れがあり、パウロのことを伝え聞いて、迎えに来てくれました。神の約束は必ず成ります。そのことを知らされて、わたしたちは感謝と勇気をいただきます。
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元気づいて食事をした (使徒言行録 27:27~44)

「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで、一同も元気づいて食事をした。(使徒27:33-36) 

体を元気づける前に、心が元気づけられたので、一同は食事ができたのですね。パウロの言葉は一同に希望を与えました。そのような人が一人いるだけで、周りの人々に元気を与えます。パウロの希望は神から来るものでした。だから、漂流中でも、神に感謝して食事をすることができました。
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元気を出しなさい (使徒言行録 27:9~26)

わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。・・・』ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。(使徒27:23-25)  

パウロたちを乗せた船は嵐の海でなすすべもなく、人々は助かる望みも失いました。そのときパウロは「元気を出せ」と勧めます。神の御使いがこれから起こることを告げてくれました。無理に元気に振る舞っているのではなく、まことの神の確かの中で、パウロは語りました。これこそがまことの励ましです。わたしも主の確かさのなかに立つことができます。
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83609 更新しました

西川口教会のホームページを更新しました。

週報短文には、先週参加したこころの友伝道全国大会の報告を書きました。

特別講師の柏木哲夫先生の講演は、
たくさん気づきを与えられ、
寄り添う人にならせていただこうと思いました。

西川口だより9月号も無事発行され、
巻頭言をアップしました。

まだ残暑が続きます。
皆様守られますように。

管理人sakuko
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私のようになってくださること (使徒言行録 26:24~32)

アグリッパはパウロに言った。「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。」パウロは言った。「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが。」(使徒26:28-29) 

アグリッパ王の前で弁明していたパウロは、キリストを信じるようにと王に勧めました。パウロは、教会への手紙でもたびたび「私に倣う者になれ」と勧めています。パウロは、イエス・キリストに愛されて、教会の迫害者であったのに赦され、救われました。だから、キリストの愛の中に生きよう、とパウロは福音を語りました。
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復活の希望 (使徒言行録 24:1~23)

私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。(使徒24:14-15)

パウロはローマ総督フェリクスの前で、ユダヤ人の訴えに対する弁明をしました。「彼らが『分派』と呼んでいるこの道」とは、「イエスは主。イエスはキリスト、救い主」という教会の信仰です。パウロは復活の希望をはっきりと告げました。生きているときも、死ぬときも、復活のときも、キリストがわたしの主となってくださいます。ハレルヤ。

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83555 更新しました

今朝の礼拝は、お休みの人が多く、子供たちの出席もなく
少し寂しく感じました。

もちろん、いつものように励んでいる方々と共に
今月最後の礼拝をささげました。

午後の夕拝には、新しい方がおいでくださって、
うれしいことでした。

神様はすべてをご存じです。

明日と明後日の、埼玉地区教会全体修養会には、
西川口教会から6人参加します。
主の祝福が豊かにありますように。

わたしは、明日から水曜までのこころの友伝道全国大会に
参加します。

そのあと、1日お休みをいただいて、木曜に帰宅します。

ブログを少しお休みします。

管理人sakuko
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勇気を出せ (使徒言行録 22:22~23:11)

こうして、論争が激しくなったので、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと心配し、兵士たちに、下りていって人々の中からパウロを力ずくで助け出し、兵営に連れて行くように命じた。その夜、主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」(使徒23:10-11) 

エルサレムの最高法院の議員たちの前で弁明をしたパウロですが、それを聞いて論争が激しくなってしまい、千人隊長の命令でパウロは保護されました。夜、主はパウロに臨んで、ローマでも証しをする使命があると告げ、勇気をくださいました。主はパウロと共にいてくださいます。
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神があなたをお選びになった (使徒言行録 21:27~22:21)

アナニアは言いました。『わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです。今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。』(使徒22:14-16) 

パウロは同胞のユダヤ人に向かって、自分の救いと召命を語りました。神が選び、証人として、異邦人のための使徒とされた。パウロが救われる前から神がお決めになっていました。しかも、教会を迫害していたパウロだからこそ、かえって神の愛がどんなに大きいかが証されるのです。
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